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不平 表現できればお互いにとって有益な情報になる

 

後から言ったら、特にメールなどで一方的に伝えるなら、それはただの苦情。

コミュニケーションも、コンタクトも放棄したも同然。

 

あなたの思いはどっちなの?

 

誰かとの間で生まれる違和感。

それを、上手に相手に伝えられたら

それは、本当にお互いの関係性を一歩も二歩も進める。

深める。

或いは、その場に健全さが呼び込まれる。

その時、その場、お互いにとって必要な情報が含まれている。

風が通り、両肩がストンと落ちる。

ふぅと呼吸が入り、

アイデアが生まれるスペースが空く。

 

可能性があります。

 

その違和感、その場でないことにしてしまうのは勿体無い。

 

それは、あなたの願いや思いや持っている目的から

発生しているのでは?

 

少し飛躍して、その相手と実現したい何か があるのでは?

 

その違和感が、起こっていることに意味があるとしたら?

それが、間違ってないとしたら?

 

だけど、

この違和感を、そのまま相手に言うのは乱暴過ぎる、

文脈が無さ過ぎる。。がありますか?

 

少しの瞬間だけ

その違和感に時間を割いて、

その中に何があるか耳を傾けみることが出来る。

 

あなたの違和感なので、

あなたになら分かるものが入っているはずなんだ。

少なくとも、本当に乱暴なだけかどうか、見てみることは出来るかも。

 

あなたのとても純粋な、或いは、素朴な

願い、ニーズ、思い、が、そこに確かに在る場合があります。

 

もし、それに気づくなら、 

それを、相手へ表現することにどれだけの工夫を凝らせるだろう?

そこに、どれだけの言わば投資が出来るだろう?

 

それから、

その相手は、あなたにとってそんな努力をする程の動機がある相手だろうか?

そもそも伝える必要があるのだろうか?

自分の意図は?

ということも検証する必要があるかもしれない。

 

もし、YES、伝えたい なら、

 

違和感、不平、不満

自分自身に湧いてきている それらを材料にすることが出来る。

 

その中に、あなたとその相手との歴史が含まれているだろうし、

あなたが今まで払ってきた相手へ敬意や思い遣りも含まれているのを知っている。

うまく行っていること、感謝したいこと、それもある。

そして、

今、あなたには、要求がある。

クリアにあるのに気づくかもしれない。

 

それは、とっても些細な、瑣末な、ものとあなたは言うかもしれない。

けれど、それが確かに「ある」のなら、

無視することは、自分自身を無視することになる。

 

それは、自分に対してとても雑な乱暴な態度と言えるかもしれない。

 

 

違和感、不平、不満、を

意味のあるコミュニケーションの好機と捉えることが出来る。

 

それらをないことにしないで、

そこに留まることで、その中に探求の目を凝らしてみたい。

 

セッションの場なら、ぜひ探求をお勧めしたい場所。

 

あなたが、あなた自身に明確になればなるほど

あなたは、それをどう伝えるかに関して容易くなります。

つまり、コミュニケーションです。

 

どんな、スキルを駆使する人より、

伝えることに使える道具が多い。

全身が一致しているのだから。

 

その時それは、とても誠実で、軽やかです。

 

軽やかなのは、良いこと。

相手にも十分なスペースを与えることが出来る。

 

なんでかと言えば、

コミュニケーションの半分は、相手の管轄。

 

その要求がどう扱われるかは、

相手に権威がある。

それも、理解しておく必要があります。

 

でも、相手からあなたの要求をその時拒否する回答が返ってきたとしても、

少なくとも、あなたは、自分自身とはしっかり向き合ったとは言える。

 

未完了は、とても少ない。

 

そして、自分自身の動機や意欲の量もちゃんと測れている。

 

もし、動機がしっかりあるのなら、

その相手がそれにふさわしい人なら、

また、伝える機会を待てばいい。

それについても、自分自身としっかりと対話をして

合意することが出来る。

 

 

あなたが、違和感をないことにするのは、

コミュニケーション、または、人との関わりは

忍耐だ。って知っているから。

そして、やはり今までの人生の中で、それだけではないってことも知っている。

たくさんの喜びも経験してきたからこそ。

 

だから、大人の判断をしてるんだって言うかもしれない。

 

それも一つ。

それも、選択肢。

 

だけど、まだ他にも可能性を加えることが出来る時かもしれない。

更なる成熟化の時なのかもしれないとしたら?

あなたの中で、何かが生まれようとしているとしたら?

 

 

人との関わりは、

確認と、合意の形成が繰りかえり繰り返し永遠に続く。

そのプロセスを忍耐強く共に出来るかどうか。

それによって、見えてくる拓けてくる地平があるはず。

 

それが苦行ばかりだと感じるのであるなら、

違和感を見てみる絶好の時。

 

もしかしたら、意味のあるコミュニケーションの

そのダイナミズムの影響をあなたはどこか知っている。

そして、もしそれが起こってしまったら、それに応答出来ないと考えているのかもしれない。

セッションの場で、それが本当かどうか見てみることが出来るかもしれません。

 

ご興味があれば。

 

セッションの場でご一緒させて頂けたら光栄です。